短編集
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お肉を食べるお仕事、勝田文彦(仮名)プロローグ
みみはなこは今日も元気です
昨日のニュースでちょっとびっくりなことがありました。
気管切開をしている最中に、電気メスから火花が飛んでチューブが焼けたのか気道熱傷(やけど)で、お亡くなりになられたと。
これは、ある外科で起きたことのようですが、気管切開は耳鼻咽喉科の仕事なのです。
ノドの部分で気管に穴をあけて、呼吸の道を作るのですが、病院では日常的に行われていることですし、あたしもやってきました。こんな事故が起きるなんて・・・考えたら起こりえることですが、あってはならないこと。
かなり、ショックなニュースでした。
高度の肥満で気道が狭くなって最重症な睡眠時無呼吸が起きる人には、気管切開をすることだってありますから。

さて、イバラのイビキ道を歩み始めたみみはなこです。
まずは耳鼻咽喉科にイビキで来る患者さんなんて、そのころは皆無。それじゃあ、イビキ道なんてどこにあるのよ?それが、あるのです。大きな一本道が。扁桃腺が大きいとイビキをかくのです。扁桃炎でノドが痛い、なんていう患者さんに尋ねると、ほとんどビンゴです。大イビキで悩んでいたっておっしゃいます。
あたしは、本人が悩みもしてないのに無理やり病気を探し出して検査するなんて信条にないのですが、イビキも治るんですか!って、とても期待されるのでした。
それだけではありません。
病院からは嫁入り道具を与えられ、医局からはイビキ専門家として成長すべくミッションを与えられたわけですから、大学病院にイビキの相談にみえた患者さんは、みんなみみはなこのところに送り込まれてくるわけです。
それなりの数が集まります。
そのなかに、勝田文彦さん(仮名)がいらっしゃいました。
これからはじまる「お肉を食べるお仕事」の主人公です。

つづく
お肉を食べるお仕事、勝田文彦(仮名) part1
みみはなこは今日も元気です
木曜の午後は休診。
そうだ!平日が狙い目!と、第61回正倉院展に出かけました。正倉院展は、ここ数年見に行っています。正倉院展って若い頃には興味なかったですが、それはきっと古いものを古いとだけ認識していたせいで、時代的には古いけれど、その技術や趣向にもはや現代ではなしえないものがあることやアバンギャルドに通じるものがあることを見いだせていなかったからだと思います。すばらしい。 正倉院って正倉院展が開かれている期間だけ、近くまで見に行けるんだって知ってました?
教科書にでてくる、校倉造りですよ。大仏殿の裏側にありますから。これを見ることが一番心に残ります。

さて、イビキ職人みみはなこのイビキ道に勝田文彦さん(仮名)が現れました。
勝田文彦(仮名)は大学時代、バレーボールの選手でした。身長186センチ、80キログラ(ム)。全日本の選手にははるかにおよばないですが、それでもチームのエースアタッカーでした。 勝田が就職したのは太平洋リーグにベースボールチームを持つ東亜ハムでした。東亜ハムは、ハムの製造のみならず食肉の生産、輸入、卸などをすべて扱う食肉の総合商社として、業界の1,2を争っており、勝田はそこのマーケティング部門に配属されました。
マーケティングの仕事というのは、一言でいうと肉を食べること。というのは、ちょっと言い過ぎですか。
大阪中の焼き肉店を回るのです。
それでも勝田はスポーツ選手であったし、卒業して間もない若い体には毎晩肉を食べることは苦にならなかったのです。むしろ、仕事で肉を食べられるなんて、願ってもないことのように思っていたのでした。日々、肉の摂取に比例して営業成績も上げることができましたが、勝田の体重は数年を経て105キ(ロにまで増えていました。
それでも肉好きの彼は、この仕事をイヤとは思ってはいませんでした。それどころか、肉の道は奥が深い、などと、今では後輩に蘊蓄をたれるまでになっていました。

そんなある日、勝田は夜中に突然目を覚ましました。体中汗でびっしょりでした。胸がドキドキしてノドもカラカラでした。
そんな彼に気づいて目を覚ました妻が眠そうに言いました。「またぁ?」
「え?またって?」

つづく
お肉を食べるお仕事、勝田文彦(仮名) part2
みみはなこは今日も元気です
朝から、新型インフルエンザや鼻血の患者さんで今日はごった返してました。
新型は、やはり子供に多いです。高い熱が出るのですが、出てもすぐに下がって、インフルエンザじゃないのでは?という子でも反応(+)だったりします。しかし、ほとんどの人が、意外に元気。これが拡がる原因かもしれないです。

勝田文彦さん(仮名)のお肉を食べるお仕事、いいなあ、とうらやましがってばかりはおられません。
とうとう、寝ている間に息が止まって、死にそうになったのでした。

「あなたときどきびっくりしたように起き上がって、またすぐに大いびきかいて寝てるじゃない)」
勝田にはまったく覚えがなかったのです。

そういえばこのごろ、朝は爽快に起きられないし、昼間は眠くてしかたないのです。元気なのは夜の焼き肉屋でだけ。

しかし、勝田はまだ30歳。自分の体を過信していました。
昨夜は飲みすぎたな・・・・なんて思いながら、また眠りに落ちたのです。

翌朝妻が言いました。

「あなた、寝ている間に息も止まっているわよ。横で数えていたら30秒は止まっているわ()。でもきっとそれ以上。だって、数えていると私怖くなって体ゆするの。そしたらまた息吹き返すのよ」
「ええー そんなことわかってたのならもっと早くいってくれよ。オレ病気か?」
「勝田さん、お口をアーンと開けてください。勝田ののどはまるで肉巻状態でした。おまけに扁桃腺が胡桃のように大きい。
「大学病院に電話したらここに先生がいらっしゃるってお聞きしましたの。」

勝田の妻は美しいひとでした。
(美女と野獣じゃ)

みみはなこは勝田のいびきを想像して思いました。
「かなり大きないびきですよね。それに呼吸も止まっていませんか?」
「はい。先生。録音したので聞いて下さい」

この患者さんの横では私なら眠れない!
愛があればいびきなんて・・・なわけがない。
「勝田さん。治療には4つの方法があります。」いつものようにみみはなこは4本の指を立てました。「1、まずはダイエット。2は手術。3CPAP、4はマウスピースです。」

今日もなめらか、九九を読み上げるごとくです。

つづく
お肉を食べるお仕事、勝田文彦(仮名) part3
みみはなこは今日も元気です
注意報 新型インフルエンザは、みみはなこの地区では、今が今までで一番はやってると思われます。

お肉を食べるお仕事の勝田さん
さて、どんな治療法を選びますか?

「じゃあ手術。お盆休みに手術してくださいよ。それですっぱり治るんなら、手術がいいです」

こういうとき、その人の性格が出るのです。
勝田は意外に決断がはやいです。

「いえ、勝田さん、あなたは手術して扁桃腺をとっても、このお肉がサイドから内側に押し寄せてくるかぎり、10のいびきが0にはなりませんよ。ダイエットしながらCPAP(*)をつけることをお勧めしますね。だってね、このグラフ見てください。勝田さんの無呼吸指数は65、一時間のうちの10秒以上の呼吸の停止が65回もあるんですよ。しかも酸素も足りない。酸素飽和度は最低で59パーセントまで下がってます。おそろしい数値です。やせる努力もしてもらわないと。今日からでも試せるのはCPAPですから。」

勝田はしぶしぶCPAPを付けました。こんなマスクいやだあ!!付き添ってこられた奥さんと子供が横でゲラゲラ笑っています。エースコックのブタさんみたいだ。と子供が言いました。

みみはなこは必死で聞こえないふりをして毅然と言いました。
「一週間お使い下さい」

(*)CPAPとは、持続的に気道に陽圧をかけて、気道の閉塞を防止する呼吸器のこと。

つづく
お肉を食べるお仕事、勝田文彦(仮名) part4
みみはなこは今日も元気です
1週間後、勝田文彦さんは今度は付き添いなしでやってきました。

「先生やっぱりこれダメ。つけられないことはないと思うんだけど、僕、出張多いし、
手術してちょっとでもよくなったらいいですから。ねえ先生、お盆に入院して肉食わずに酒飲まなかったらやせますよね?」

そう言われたらそれもありかとみみはなこは思いました。

実はこの手術、術後の痛みで食事がのどを通らず、結構やせるのです。しかも勝田の言うように肉と酒を断てば効果は大きいかも。

勝田の手術は扁桃腺が大きいこともあって、思いのほかノドの空間が拡がり、みみはなこ会心の作となりました。これはもしかするといびきも無呼吸もなくなるかもしれないぞ。

退院して10日後に抜糸にやってきた勝田の体重は98キロ、7キロの減少でした。
「いびきはなくなりました。呼吸も止まってないようです。」
美人の奥さんが横でにこにこしていました。

つづく
お肉を食べるお仕事、勝田文彦(仮名) 最終章
みみはなこは今日も元気です
晴れの特異日文化の日しかし急に寒くなりましたね。 先週の正倉院展見学のあと、興福寺の阿修羅さまに会いにいったのですが、阿修羅さまのいらっしゃるほうは夕方で待ち時間なし、だったのに、弥勒如来さまのいらっしゃる北円堂は40分待ちだったので、その日は退却。本日朝早い目の時間を狙って、弥勒如来さまを拝みに行ってまいりました。
いま、仏像ブームだとか。みみはなこは、みみはなこじゃあないころどころか、医学部にもいってないころ、文学部哲学科美学美術史学を専攻しておりましたが、当時日本美術史のゼミが苦手で
蓮華王院の資料だの、神護寺の仏像だの、なんだかちっとも興味が持てなかったのですが、いまこうして、静かに仏像を眺めると、こころに沁み入りさわやかです。
興福寺のあとは、本日まで金堂落慶法要が行われた唐招提寺。あたしは一般人だから、金堂落慶法要には入れず・・・明日より、一般公開なんですって。

さてさて、勝田文彦さんが、手術後静かにぐっすり眠れるようになって、その後の経過はいかに?

5年後、みみはなこが開業して3年目の秋をむかえていたある日のこと。
ちらっとのぞき見た待合室に、見覚えのある顔が・・・エースコックの・・・

勝田さんだっ。

ん?前より大きくなっている?

「勝田さん、お久しぶりです。お元気でしたか?」
「先生もますます若返られて。ムフムフ」

みみはなこはこういう見え透いたお世辞にも弱いのです。

「ほほほ・・・ところでいびきいかがですか?」
「先生みてのとおりです。とほほ・・また太っちゃって。今日は観念してきました。

あの機械しかありませんよね」と、両手で頭に輪っかを作っています。
いえいえ、頭に輪っかじゃなくって、鼻にマスクですよ。
「ところで勝田さんお仕事もお変わりなく?」

「はいっ!前より出張も増えて今は全国飛び回っています。ムフムフ。先生おいしい店おしえますよ」
「勝田さん、喜んでください。CPAPね、あのときよりすごく小さくなって今じゃほらこんなにコンパクト」

勝田さんは今CPAPを継続使用しています。

家族もその姿に慣れたようです。

「勝田さん使い心地どうですか?」
「ええ、今じゃ枕みたいなもんですよ」
「しかしこの体重ははいただけません。それに脂肪肝、中性脂肪も、コレステロールもぜーんぶ不合格!!お肉食べるお仕事やめられませんか?」

おしまい