短編集
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女子大生志村泉(仮名)の物語 part1
みみはなこは今日も元気です。
今日から、いびき患者第一号 志村泉(仮名)の物語が始まります。
志村泉は女子大の4回生、大学での専攻は家政学科でしたがそれも親の勧めで決めたのでした。というのも泉の母は短大の家政学科の教授で住居学を教えていたのでそれに従うことになったのです。
高校生のころ泉は「何が家政学よ!家の中だってぐちゃぐちゃのくせに。」と母に反感をいだいていました。両親は泉が幼稚園のころに別れており、泉は祖母に育てられたようなものでした。母は忙しいにも関わらず、祖母との同居をいやがり、祖母は近くに住んで泉の世話をしに通っていました。
泉は時々高い熱を出す子供でした。

小学生の低学年のころには月に一度は高熱を出し、そのたびに忙しい母に代わって祖母が近所の小児科に連れて行くのです。なじみの先生は、また扁桃腺だねと言っては同じ薬を出しました。
泉の扁桃炎はいつもの習慣になっており、熱をだすと母は「またいつものね」と言って、残りをためていた薬を自己判断で飲ませたりしていたものです。
泉は大人顔負けの大きないびきをかきました。
しかし慣れとは恐ろしいものです。小さな体のどこからそんな大きないびきが出るのかと思われるほどの音なのに、母も祖母も、いびきをかかない瞬間があればかえって静かすぎて大丈夫かと思うほど、泉のいびきに慣れていたのです。

つづく
女子大生志村泉(仮名)の物語 part2
みみはなこは今日も元気に、インフルエンザワクチンを、打ちまくってます。
今年は季節性のワクチンも例年の7割しかありませんので、うちのクリニックでもすべて予約制。
今頃問い合わせをしてくれても、もう予約は終了です。と言いたいとこですが、明日の午前中のみ、追加予約うけます。先着若干名さまのみ。
さて志村泉さん(仮名)の物語Part2のはじまりです。
初めての関門は、小学5年性のときに訪れました。泉の学校では、5年生の夏休み直前に海水浴の一泊宿泊訓練がありました。これがなぜか林間学校と呼ばれているのでした。水泳、キャンプファイヤー、枕投げ。初めての宿泊は子供たちにとって楽しくてたまらないものでした。
2日目の朝、泉はクラスの女の子たちがひそひそとしゃべっているのを聞いてしまったのです。
「泉ちゃん、すごいいびきだったね」「うんうん、わたしも気づいてた。寝られなかったもん」
しかし、子供たちの悪意は長く続きませんでした。そこは子供の子供らしいところ。2週間もすれば泉のいびきのことなどすっかり忘れ去られていました。
第2の関門は6年生の10月にやってきたのです。修学旅行です。広島へ原爆ドームと記念館を見学に行く旅行。学級会では旅行中のさまざまな約束が決められました。部屋割りを決めるとき、当然同じ部屋に泊まるものと思っていた仲良しのレナちゃんがちょっと変な顔をしたのでした。
就学旅行が終わると卒業まではあっという間です。卒業と同時に引っ越していくユキちゃんのお別れ会でお泊りでユキちゃんちに遊びに行く計画に泉は誘われませんでした。
第3の関門であるはずの、中学の修学旅行は女子中学生特有のシカトで沈黙のうちに過ぎ去りました。
これまでの関門が大難なくすぎたことは幸か不幸か。
あのときだれかが言ってくれたら、あとの不幸が回避されたのに、と思うことって人生で多くはないけど、ありましょう。

つづく
女子大生志村泉(仮名)の物語 part3
みみはなこは今日も元気です。
今日はお仕事は半日。
午後からは、バンドのミーティング。バンドリーダーでリードギターのヤーナー・パイオニアとベースのマウンテン・トップが相次いで転勤により離脱しちゃったので、わが、マーキュリー・ボウイズ・カンパニーは解散の危機!!
そこに今日新しくギタリストのセント・ミズノが加わることになったのです。
さて行方はいかに?

志村泉ちゃんは、いよいよ、高校2年生。

高校の修学旅行は3泊4日でした。2泊目の朝、泉は同室のヒロミから面と向かって言われたのです。
「いずみぃー、あんたのイビキやかましくって寝られなかったわ!!」
その言葉はいつも活発で明るいヒロミらしく迷いなくストレートでした。
泉はあと二晩、みんなが眠ってから寝ようとがんばることにしました。その努力は報われたとはおもえないですけれど・・・

それ以来、泉は自分のイビキを意識するようになりました。
すべてのことに対して、なんとなく引っ込み思案になってしまいました。進学についても積極的な意思も希望も持てなかったのです。
いつも忙しく雑誌の取材などもこなしている母とは家でもすれ違いが多かったのですが、いよいよ進学を決める時期になると、ここぞとばかりに母が口出しをしました。
「ママと同じ家政科がいいわよ。いいところにお嫁にいけるわよ。家について勉強するんだから。」
(いいところにお嫁?ママは自分の人生に矛盾を感じてないのかしら?)
そうは思った泉でしたが、結局ほかに受かるところもなく母の言うとおりの進路を進むことになりました。

泉はずっとイビキで悩んでいました。それも深く深く。
ある日泉は母に言いました。
「ママの知り合いで耳鼻咽喉科の先生いない?耳鼻咽喉科で治せるんだって。あたしがいいところにお嫁に行くにはあたしのイビキじゃ無理よ。」
母は「そんなこと関係ないわよ。慣れるもんよ。」とはいいながら、自分の肩書きを利用してある大学病院の耳鼻咽喉科の教授に電話したのでした。

つづく
女子大生志村泉(仮名)の物語 最終章
みみはなこは今日も元気です。
今日は京都の魚津屋さんから関昌生という針金作家?の針金作品を送っていただきました。
魚津屋さんというのは、京都の料理屋さん、「胃袋にやさしいが懐にきびしい」をモットーにとびきりのお料理を作っているお店です。ご主人と奥さんとは、すきなものが似ていて、仲良くしていただいてます。すきなもの、っていうのは、たとえば、加守田章二、ルーシー・りー、三浦景生・・・今日の針金さんも、この人たちほど、メジャービッグではありませんが、ちょっといいもののひとつです。

志村泉さん、とうとうイビキの治療に踏み切ります。ママに知り合いの大学教授に電話してもらったのでした。いよいよ最終章です。

教授はその電話が、たとえ肩書きのない一市民からであろうと同じように応対する公平な人物でした。教授は快く引き受けました。
「お嬢さんのイビキ、任せてください」

みみはなこは耳鼻咽喉科に入局して1年2ヶ月。ある日教授に呼ばれてこういわれたのです。
「君、イビキの手術って知ってるか?」

志村泉はみみはなこにとって忘れられない人となったのです。

手術のあと、泉の母は言いました。
「これで縁談も進められますわ。ありがとうございました」

あれから10年、ある住宅博をのぞいたみみはなこは、たて看板に見覚えのある名前を見つけたのです。
「志村直子の使いやすい間取り教室   山野泉さんのキッチン公開」

あ、あの親子だ!泉は無事母のいう「いいところ」にお嫁にいったのでしょうか。
写真の中の泉は、エプロン姿でにこやかに、夫とともに料理をしていたのでした。

みみはなこは思いました。
このご主人、ちょっと太りすぎね。きっとイビキやかましいわよ。

おしまい